20代公立高校教員ブログ

若手教員の考えること。

将来のことじゃなくて、ヨボヨボのじいちゃんになったときのことを考える。

僕は今教習所に通っていて結構あわてて車の免許を取っている。

ある日、指導員の方に来年から学校教員になるという話をしたら、その方から「教員として」のアドバイスを2つ頂いた。

 

まず一つは、知識量があればあるだけ、教えるレベルも上がること。

これはなんとなく想像がつく。

例えば、高校生は中学数学は教えられるかもしれないが、高校数学は教えられないだろう。

そりゃ例外はあるだろうけど、大多数の人は大学まで、あるいは大学院までその教科を勉強していた教員の方が、知識量があるから引きだしもそれだけあり、それに加えて知識同士のリンクも多くあり、教え方はうまいと思う。

 

 もう一つは、生徒に先のことを想像させること。

この「先のこと」というのが、大学になったら、社会人になったら、というところではなく、もっと先の、おじいちゃんおばあちゃんになったら、人生を終える直前になったら、というところまで想像させることが大切だそうだ。

僕は生活の中で将来のことをイメージするのは大事だと思っていたが、せいぜい社会人になって10年くらい経って、ってとこくらいで想像は終わっていたので、この考えにはびっくりした。

指導員の方にとっては、もし、このままの運転で何十年と過ごしたら、お前は老人になって後悔しないのか?ということだろう。

確かにそう考えたら今の運転から気をつけなくては!と思う。とても大事だ。

 

じゃあ、僕は教員になったとき何ができるのか?

たぶん、「英語が出来たらこんな楽しいことがあった!こんなに役に立った!だからヨボヨボのじいちゃんになっても英語を学んだことは後悔しない!」みたいなことは言える。

でも、「これまでこんなふうに生きてきたけど、何も後悔はなかった!だからみんなも俺みたいに生きた方がいい!」なんてことは、絶対言えない。

今までに後悔なんて何度もあるし、生き方なんて人それぞれだから強制する気もないし。

だけどやっぱり、僕もじいちゃんになったとき、死ぬ直前になったときのことを考えて今何すればいいか考えて毎日過ごさないと、と思う。

そしたら、強制はしないまでも、少しは生徒のためになる助言みたいなものが、できるようになるんじゃないだろうか。