20代公立高校教員ブログ

若手教員の考えること。

文章から気持ちを読み取ること

今日、塾のバイトで小学生の子に国語を教えました。
小説の問題で、僕は簡単なものだと思っていたのですが、どうしてもその子は理解できませんでした。

内容は、ある男の子がおばあちゃんにセーターを編んでもらったのだが、袖が長すぎてあまり気に入らないし、友達にもからかわれ、直してほしいと思っていた。
でもそれは、おばあちゃんがその子の成長を願い不自由な体ながら一生懸命編んだものだと知って、そのことへの感謝と、直してほしいと思ってしまったことの反省をする…といったものです。

しかし、生徒の男の子は特に「反省をする」ということがなぜなのかどうしてもわからないようでした。
おそらく、彼のなかにはそのような考え自体が存在しないのでしょう。
それが彼自身が原因なのか家庭環境に原因があるのかはわかりません。

人の気持ちに対して無理解はこのような小さい事柄でも存在するんだから、そりゃ実際の人間関係はさらに難しいことになりますよね。

そう考えると、小学生のうちから国語の小説問題で気持ちの捉え方の共有をしていくことは重要な気がします。

考えを文章にする、ということ。

僕はよく考え事をする方だと思います。

 

例えば、晩ご飯は何にしよう、とか

次は何の本を買おうとか、とかそんなことも考えるけど、

自分の考えは他人と違うことがあるけど、それはなんでだろう、とか

これから10年後何してるんだろう、とか。

 

人と話してる時も急に自分の意識が考え事に行っちゃって、

話聞いてないことも多々あります。

 

そんなことを記事にしてブログに書いてみることにはどんなメリットがあるのか

自分なりに考えてみました。

 

1.不格好でも結論を出せる

考え事をするのはいいんですが、

そのまま結論を出さずに放置しちゃうことも多いんです。

なかなか二つのことを同時にするのが得意ではないので、

他のことを始めちゃうと途中で忘れちゃうんですね。

ただ、こうやって文章化するということは、

その考えについて、 何か自分なりの答えを出す、出せるということだと思います。

そうしてると、 「よくわからない」っていう結論に至ることもあると思います。

というか、そんなのばっかりだと思います。

でも、

「考えた結果、よくわからない」

「考えるのめんどくせぇ、わかんねぇ」

では、その次からのアプローチが違うと思うのです。

「わからない」という自分なりの答えを出すことも大切にしたいです。

それに、必ず答えが出ることばっかりという世の中も面白くないです。

 

2、文章化による整理

考え事をしているとき、言語に変換出来てなくてぼやぁっとイメージで考えてたり、

頭の中で論理的になってないことがよくあります。

その状態のままではなかなか文章にすることはできません。

文章にする、ということはそのイメージを集めて、整理して、

文字化してアウトプットする、ということだと思っています。

そうすることによって、考えがより洗練されたり、新しい発見があったりすれば、

もっと考えごとが楽しくなってくると思うのです。

 

3、人さまに見られるという意識

文章化するにあたっても誰かに読んでもらうという意識を持てば、

よりわかりやすく整理することが出来ます。

出来る限り、読んでもらう方にわかってもらうような、

もしくは読んでいて面白い文章を書こうと思っていますが、

自信はないです。

誰か見てくれるのかこのブログは。

 

考えることが楽しくなると、世の中の見方が変わって、

発見が増え、日々の生活ももっと楽しくなると思います。

なんか仰々しいこと言ってるように思いますが、

今のところはこうとしか表現できません。

何かいい言い方はないでしょうか。

 

それでは。

はじめました

これまで何回かブログというものを開設してみたのですが、

リアル知人に知られていたのであまり下手なことも書けず、

かと言ってそんなに更新もせず放置してました。

 

最近、日々生活していて色々と考えることがあり、

それを人に発信するという意識を持って文章にすれば

自分の中でも整理が出来るのではと思っています。

日にちが経って見返しても面白そうですし。

 

それではよろしくお願いします。