20代公立高校教員ブログ

若手教員の考えること。

だらだら休日をはさんで

昨日たっぷりだらだらしたら今日はだいぶ体が軽くなりました。

やっぱり休みはとれることなら2日連休で欲しい。

そうじゃないとだらだらで終わってしまう。

 

なんとなく元気になったのでいつもは車で行くスーパーも歩いて行ってみたり。

まだ慣れていない土地をゆっくりと歩くことで、

だんだんと近所の情報も増えてきて、

こうやって慣れていくんだろうなーと。

 

明日からまた仕事です。

とりあえず実力テストの作成を急がねば。

教員生活が始まり、約2週間が経ちました

仕事が始まり、約2週間が経ちました。

 

ものすごく疲れています。

今まで経験したことがなかった疲労感です。

体全体が重たく、ボーっとしてしまい、

「これが本当の疲労というやつか」と少し感動しています。

 

これまでは栄養剤なんて飲む気も起きませんでしたが、

CMで見かけると「頼ってみようかな・・・」なんて思ってしまいました。

 

疲労の原因は「すること全てが全くの初めてのこと」なのと「気疲れ」でしょう。

これはどうにも仕方ないです。慣れるしかありません。

 

いざ社会人生活が始まり、少し考えたことは

教員はどの業界よりも現場に出るのが早いのでは・・・

ということです。

 

当たり前ですが、

教室で授業をするときは生徒にとって1年目も30年目も関係なく、

誰でも平等に同じ「先生」として見られます。

そして現場に出る前の事前の研修もありません。(初任者研修といって1年を通して少しずつ行われます。)

少なくとも授業においてはすぐに戦力として扱われています。

 

そして先日授業デビューを果たしたのですが、

約30人もの生徒が、僕一人の話を聞いているという状況にとてもビビりました。

貴重な生徒の1コマを預かっているという重圧にはまだなれません。

これも慣れでしょうね。

 

幸いにも、先輩方に恵まれているので、「早く休め!!」とか「早く帰れ!!」

などと言ってもらっており、そこでのストレスはないので安心しています。

 

これからはきっちり家で心身ともに回復させることが課題になりそうです。

 

写真を通して、日常をおしゃれに

僕の趣味の一つに写真を撮るというのがあるんですが、

あんまり上手くはありません。

 

インターネットで他の人が撮った写真を見るとまぁうまいことうまいこと・・・

自分の写真がもう見劣りしちゃって、

僕もこんな写真撮れるようになりたいなぁって思っちゃいます。

 

たぶん、被写体がかっこよかったらかっこいい写真になります。

ヨーロッパの街並みとか本当にかっこいいですし、おしゃれです。

 

でも中には、よく見る風景をすごくおしゃれに撮ってる写真がたくさんあるんですね。

日本のよく見る光景なのに、こんな風に切り取るのか!めっちゃおしゃれ!と。

 

そんな写真をたくさん見ていると、なんとなく、

「僕にとって日常になってる景色も、

見方によってはすげーかっこいいんじゃない?」

と思ってしまいます。というか、きっとそうなんです。

 

普段見る景色を、かっこよく、おしゃれに切り取れたら、

きょろきょろとそんな景色を探して、毎日を過ごせたら、

すごく楽しそうな気がしません?

それをみんなで共有できるって、すごくわくわくしません?

 

たぶん、写真が好きになった理由は、

写真に対してこういうふうに感じたからだろうなぁと、

ふと思ったのでした。

 

夜の紅茶と自己暗示

僕は紅茶を飲むと頭がシャキっとする・・・気がします。

もともとカフェインを飲むと夜寝れなくなるので、夜には飲まないようにしてるのですが、

今日は起きてやらなきゃいけないことがあるので紅茶を飲んでいます。

 

たぶん、もうカフェインを取っても夜寝れるくらいの耐性はついてるんです。

でも、僕の中では夜の紅茶は夜起きているための「とっておき」なんです。

だからそう思い込んでいるようにしてます。

今日も紅茶のおかげで夜起きれて、作業がはかどると思います。

 

こういう「自己暗示のとっておき」は大事にしていることの一つです。

自分の中で ぱちっ とスイッチが入る気がします。

 

紅茶の自己暗示が効かなくなってきたら、次はコーヒーの自己暗示かな。

時間は誰にでも平等

時間は誰にでも平等。

これ、あたりまえだけど、3年くらい前に友達に言われて初めて気付いたんです。

いくら環境が違っても、お金がなくても、時間はみんなにあって、

そいつの使い方次第でだんだんと差が出てくると。

 

ほへー、と。目からうろこでした。

その友達はまぁそれは優秀なやつで、こんなやつが同年代にいんのかと衝撃を受けたんですが、そりゃそんな考え方したら差はつくよなぁと。

それからは時間というものを有限なものとして意識しているのですが、なかなかうまく使えない。

やるべきことを後回しにしちゃうし。

 

時間に対する意識を変えて、有意義な時間を過ごす。

耳にタコができるくらい聞いたことあるけど、難しい。

まずはもう一回意識から。

友達関係は細く長く

今日は高校からの友達と旅行の計画をしたのですが、

やっぱり変わんねぇなあと。

今、22歳で、出会ったのは16,7ぐらいのときですが、あのまま変わってないです。

このまま40,50になってもたまに会って飲んだりするんだろうか。

 

でもふと思い返すと、小学校のとき、中学校の時に

あんなに仲が良かったのに今は全然連絡を取ってない人もいる。

一方で住む場所が離れてもずっと続いているやつもいる。

 

こういうふうにだんだんと友人関係も細く長くなっていくのかな、と思うとさみしい。

出来る限り連絡をとって、

それと相手からも「あいつどうしてんのかな、連絡しよ」と思われるような人になりたいね。

 

あたりまえだけど、人脈は大事。大切にしよう。

嫌なことを後回しにしてしまうまま、大人になってしまった。

「嫌なことを後回しにしない!」

とずっと言われてきましたが、これってすごーーーーく難しいことじゃないですか。

大人になったら出来るようになるんだろうなぁと考えてたら、もう大人と言われる年齢になってしまいました。

嫌なことと好きなこと。

そりゃあ無意識に嫌なことは避けちゃうし、意識的にも避けちゃう。

でも、やっぱり、後回しにしちゃうともやもやが残って好きなこともなんか楽しめない気がするんですよね。

好きなことを全力で楽しむために、嫌なことを先にやる。

そう考えたら少しがんばれる気がするけど、やっぱり難しい。

欲しいものとなりたい自分リストアップ法

ちょうど一年と半年くらい前に、「欲しいものを紙にリストアップする」というライフハック?というのをやってみた。

リストアップすることでそれが目標になり、自然とそれに向かって努力できるようになるらしい。

そして欲しいものが手に入ったらそれに横線を引き、それが欲しくなくなっても横線で引く。

そうしていくうちに、だんだん欲しいものが手に入るのだと言う。

その紙の存在を忘れて少し経っていたのだが、ちょうど年が明けたということもあり、書き直すためにひっぱりだしてみた。

 

改めて読んでみると、今になって手に入ったものや、もう欲しくないものもいくらかあったので、横線で消していった。

後輩達から誕生日プレゼントで頂いたものもあって、それを消す時はもらった時を思い出してついニヤけてしまう。

 

でも、その紙には物だけじゃなくて「どんな自分になりたいか」ということが、物よりも多く書かれていた。

これは、なかなかまだ消せない。

たぶん、これからも消せることはないんだと思う。

だって「慕われる人間になる」とか「かっこいい人になる」とか自分で判断できないもんね。

とりあえず書き直すのはやめにして、これをそのまま持っておこうと思う。

少しでもそんな自分に近付きたいですね。

 

おすすめですよ、紙にリストアップ法。

 

将来のことじゃなくて、ヨボヨボのじいちゃんになったときのことを考える。

僕は今教習所に通っていて結構あわてて車の免許を取っている。

ある日、指導員の方に来年から学校教員になるという話をしたら、その方から「教員として」のアドバイスを2つ頂いた。

 

まず一つは、知識量があればあるだけ、教えるレベルも上がること。

これはなんとなく想像がつく。

例えば、高校生は中学数学は教えられるかもしれないが、高校数学は教えられないだろう。

そりゃ例外はあるだろうけど、大多数の人は大学まで、あるいは大学院までその教科を勉強していた教員の方が、知識量があるから引きだしもそれだけあり、それに加えて知識同士のリンクも多くあり、教え方はうまいと思う。

 

 もう一つは、生徒に先のことを想像させること。

この「先のこと」というのが、大学になったら、社会人になったら、というところではなく、もっと先の、おじいちゃんおばあちゃんになったら、人生を終える直前になったら、というところまで想像させることが大切だそうだ。

僕は生活の中で将来のことをイメージするのは大事だと思っていたが、せいぜい社会人になって10年くらい経って、ってとこくらいで想像は終わっていたので、この考えにはびっくりした。

指導員の方にとっては、もし、このままの運転で何十年と過ごしたら、お前は老人になって後悔しないのか?ということだろう。

確かにそう考えたら今の運転から気をつけなくては!と思う。とても大事だ。

 

じゃあ、僕は教員になったとき何ができるのか?

たぶん、「英語が出来たらこんな楽しいことがあった!こんなに役に立った!だからヨボヨボのじいちゃんになっても英語を学んだことは後悔しない!」みたいなことは言える。

でも、「これまでこんなふうに生きてきたけど、何も後悔はなかった!だからみんなも俺みたいに生きた方がいい!」なんてことは、絶対言えない。

今までに後悔なんて何度もあるし、生き方なんて人それぞれだから強制する気もないし。

だけどやっぱり、僕もじいちゃんになったとき、死ぬ直前になったときのことを考えて今何すればいいか考えて毎日過ごさないと、と思う。

そしたら、強制はしないまでも、少しは生徒のためになる助言みたいなものが、できるようになるんじゃないだろうか。

感動を見つけて、文章にできること。

頻繁にとまでは言えないけど、僕は時々本を読む。

新書とか小説とかノンフィクションとか、種類は気にせずに、主に古本屋の100円コーナーで、自分が読みたいなと思うものを買って読む。

ある日、なんとなく、少し前に流行った評判のいわゆる純文学と呼ばれる小説を買ってみた。

 

正直、話は「あれっこれで終わり?」と思った。

たぶん、純文学というジャンルに慣れてなかったから。

だけど、今まで読んだ本の中で飛びぬけて文章がきれいだった。

自分が日々見ている風景や過ごしている日常を、こんなふうに描写できるのか、筆者はこんなふうに毎日過ごしているのかと、とても驚いたことを覚えている。(たぶん筆者もいつも過ごしているわけではないけど。)

それと同時に、「そんな風に日々の生活をとらえられたら、毎日がもっと楽しくなるんじゃねぇの?」とも思った。

 

僕はまだきれいな夕陽を見ても、「あぁきれいだなー」としか表現できないけど、彼らはそれを文章で素材以上に伝えてくれ、読者に感動を与えられる。

さらに、僕らが特に気にも留めないような日常を切り取って「こんな風にとらえられたら素敵じゃない?」とヒントを与えてくれる。

 

そんな感じで、些細なことにも感動を見つけられたり、それをうまく人に伝えられるような人になりたいですね。